『My Story』
~ミホ・ワールド~
死ぬほど甘いロマンスがしたい
わたしの恋人は
自分からは決して
「好きだよ」も「愛しているよ」も
言わない。

恋人の行動を見ていると
わたしを粗末にしてはいないのだと
思いは痛いほど伝わってくるのだけど

やっぱり
そうね
やっぱり
言葉でも
「好きだよ」は言ってくれないと
とても悲しい。

一人相撲しているみたい

なにも言わない恋人を見ていると
とても虚しくなってくる。

これが
たとえば夫婦とかだったら
「言わなくてもわかるだろ」的な
感じなのだろうけど
わたしたちは
夫婦ではない。
夫婦にはなれない二人なのだ。

恋人はわたしの胸のうちを
知っているのだろうか。
夫婦にはなれない二人。
そのことが
どんなにわたしを傷つけ
苦しめているかを
知っているだろうか。

とても陳腐な願いかもしれない。
それでも
だから
その隙間を埋めるように
「愛している」の言葉が欲しい。


これが
最後の恋。
結ばれないのなら
せめて
死ぬほど甘いロマンスがしたい。



14歳。処女喪失

14歳。

ある祝日、わたしの両親が
日帰り温泉旅行に
連れて行ってくれると言った。

あまり気の進まなかったわたしは
「行かない」と断った。

これが幼少期だったら
楽しみだったかもしれないが
すでに年頃のわたしには
両親との温泉旅行は
あまり魅力のないものだった。

なにより、父の酒癖が悪かった。
温泉なんて
どうせ宴会をして
父は泥酔するにきまってる。
そうして
最後は母と夫婦喧嘩になって
......そんな展開の旅行にきまってる......


母が言った。
「どうせだから
ユタカくんを誘ってもいいわよ」

ユタカはわたしの
当時のボーイフレンドだった。
「ユタカを誘ってもいいならば
ちょっとは楽しくなりそう」

ユタカとわたしの旅行ではないけれど
なんとなくテンションは上がってきた。

ピンクの洋服を選んで
わたしは支度をした。

当時、少し大きめの八人乗りの
ワゴン車だった我が家の車。
出発時間になって
ユタカも来てくれて
車に乗り込もうとしたら
見知らぬ男性が突っ立っていた。

誰?
不気味な雰囲気のその人に
わたしは尻込みをした。

「どなたですか?」

すると、父がやってきて
「ああ、お父さんの友人のスズキ。
こう見えても、いいヤツでねえ。
誘ったんだよ」と
わたしにスズキさんを紹介した。

「どうも、スズキです。
温泉でたっぷりと遊びましょう」
スズキさんはニヤリと笑った。

父が運転して母が助手席で
楽しそうにしていた。

わたしもユタカとお喋りしながら
車中を過ごした。

わたしには弟がいたから
面倒を見なくちゃ、と思ったけれど
弟は車に乗るや否や
スヤスヤと寝息を立てて眠り始めていた。

結構、気を遣ってしまうわたしは
スズキさんが一人で気の毒に思えて
ちらりと様子を伺った。

わたしと目と目が合ったスズキさんは
最初のときに見せた
ニヤリとした顔以上に
不気味な笑いを
わたしに返してよこした。

スズキさんのこと
なんだか心配をしなきゃ良かった、と
わたしはまたユタカと
お喋りの続きをした。


旅館にたどり着いて
温泉に入るよりも先に
まずは宴会になった。

父はアッという間に
酔ってしまって
母も酔っていた。

スズキさんは
「お酒に弱い」ということで
アルコールには手を出さずに
お茶やらソフトドリンクを飲んでいた。

「ねぇ、お母さん
いい加減に温泉に入ろうよー」

わたしと弟は
母に催促をしたが
わたしの言葉など
耳に入ってはいない様子だった。

日頃の仕事の疲れからか
母はお酒を飲んだあと
昼寝をし始めた。

父はといえば
やはり泥酔状態になっていた。

「お母さん、お母さん
温泉に入ろうよ」

「あたしは今、眠いのよ、入っておいで」
母はわたしに弟を託した。

弟をどうするべきか
しばし、悩んだ。

それこそ、一緒に入るには
わたしも気恥ずかしいし
ユタカに弟の世話を
お願いしてもいいものなのか

スズキさんが
「じゃあ、わたしが子供さんたちを
お風呂に連れていきましょう」と
言ってくれたが
なんだかイヤだな、と思った。

「いいえ、スズキさんは
お父さんたちと一緒に楽しんでください。
弟の世話はユタカに頼むし
わたしは大丈夫なんで」

スズキさんは
ねちっこい声で執拗に言った
「一緒にお風呂に行きましょう」

母は「鈴木さんのお世話になりなさい」
そう言って、また眠りの夢の世界へ。

泥酔している父は
まったくアテにならなかった。


スズキさんとユタカと弟とわたしの4人で
温泉へ続く廊下を歩いた。

温泉は客室からは
"離れ"の場所で
ひっそりとしていて
その時間帯は
わたしたちしか温泉客はいなかった。

スズキさんが言った。
「ユタカくんたちは、ちょっとだけ先に
入っていてほしい」

変な人、とわたしは思った。
ユタカは
わたしの弟の面倒をみてくれようと
サッサと、男湯の、のれんをくぐって
入って行ってしまった。

「じゃあ、わたしも
お先させてもらいます」と
わたしは女湯の
のれんをくぐろうとした。

その瞬間
スズキさんに腕をつかまれた。

「忘れ物だよ」
「えっ?」

振り向いた途端に
スズキさんはわたしの唇を
タオルで覆った。

声が・・・
声が出せない・・・

「お洋服は僕が脱がせてあげようね」

塞がれてしまった口からは
助けが呼べない。


14歳。

いろんなことを夢見てた。
いつか好きな人と結ばれる夜を
夢見てもいたし
いつか来るはずの『その日』を
幼いなりに待ち焦がれていた。

こんなに無残な形で
『初めて』を思い知ることになろうとは
予想もしていなかった。


14歳。
飛び散ったピンクの洋服。
飛び散った夢。


痛かった。
怖かった。
痛かった。
怖かった。

悪夢から解放されたあとも
わたしは動けなくなったまま
倒れこむようにうずくまった。


やがて
温泉から出てきた
ユタカと弟は
裸体で半分気絶しているわたしを
目の当たりにして
あとずさりした様子だった。

ユタカは反射的に
わたしの弟のを抱きかかえて
「お姉ちゃんを見ないであげて!」と
叫んでいた。

ユタカは言った。
「待って、人を呼んでくる!」
「お願い、呼ばないで」

...ユタカにすれば
それが精一杯だったのだろう...

わたしは
のろのろと着替えた。

そして壁伝いに歩こうとしたが
やっぱり歩けなくて
その場にしゃがみこんだ。

しばらくして父と母が来た。
「なんかあったらしいからって
飛んできたのに
なんだ、お前、眠いのか?
こんなところに倒れこんで
なにやってるんだ」

父が
「せっかくの酔いを醒まさせるなよ」と
わたしを罵倒した。

母は
「お風呂からなかなか出てこないなんて
マイペースもいい加減にしなさい」

わたしは、もう、言葉がなかった。

ユタカは目をそらしたまま
もうこっちを向いてはくれなかった。
目をそらしたままでいてくれたことは
あのときのわたしにとっては
救いだった。
ユタカに対しては
ただ、ただ恥ずかしかったから。


14歳でわたしは
よごれてしまった。

あれから
たくさんのたくさんの歳月が
流れても
あのときの痛みと恐怖と屈辱は
蘇る。


歳月はどんな出来事をも
忘れさせる?

そんなことは、ない。

わたしは
わたしが思っていた以上に
未だに傷ついているままだ。

授からなかった命のコト

恋をした。

恋に落ちた。

愛した、愛された。


わたしたちは
避妊をしないで
愛を交わし合った日があった。

それは
わたしの勘違いからのことだった。

子宮のレーザー手術を
受けたことのあるわたしは
手術前に
なるべく情報を集めた。

『レーザー手術をすると
妊娠は不可能になる』
集めた情報の中には
そう書かれた手記もあったので
わたしは、それを鵜呑みにした。

恋人と愛を交わし合う途中で
わたしはその手記をふと思い出した。
妊娠しない体なんだ。
抱きしめられながらの高揚感の中で
わたしは恋人に
今日は避妊具をつけないで欲しいと
懇願した。

戸惑いの様子を見せた恋人は
それでも
避妊具を使おうとしていたけれど
わたしは言った。
「だって、子宮の手術をしたのよ。
妊娠の心配は何もないのよ」

わたしは
快楽が欲しくて避妊具を拒んだわけでは
なかった。
ただ、ただ、出来るだけあたたかな
そのぬくもりを...
ぬくもりそのままを
わたしの全部で感じたかった。

恋人はわたしの提案を了承した。
避妊具をつけずに
その日、わたしたちは
愛を交わし合った。

愛し合った直後に
恋人は少しだけ考え込んでいた。
「前回の生理いつだっけ。
今度の生理の予定は?」

わたしは前回の生理日と
次回の生理日の予定を答えた。

彼はやはり考え込んで
「ねぇ 生理があるってことは
妊娠しないとは限らないんじゃないか」

着替えもしないまま
スマホを手に
わたしはネットで調べ直した。

『手術をしたら妊娠不可能』は
今となっては古い情報だったのだ。

最新の医学では
子宮を手術しても
数ヶ月後からは妊娠は可能だという
真相を知った。


恋をした。

恋に落ちた。

愛した、愛された。

愛する人の子供だったら
産みたいに決まってる。
愛する人の子供だったら
欲しいに決まってる。

でも

妊娠を喜んではいられない
ふたりには事情があった。
そのうえ
わたしは
それこそ今の医学では
治りようのない
大きな大きな病いを抱えている。

どんなに願っても
望んでも
決して妊娠はしてはいけない。

それからしばらくの間
わたしたちは妊娠の心配をしたけれど
赤ちゃんは授かってなかった。

ホッとしたと同時に
とてもとてもとても寂しかった。


宿らなかった命に
ふたりで名前をつけるために
小さな小さな縫いぐるみを買った。

名前は彼がつけた。
「アムがいいんじゃないか」と言った。
男の子か女の子かわからない命だから
そういう名前をつけたいと言った。

わたしは
その『アム』に漢字を当てはめた。
愛を結ぶ、と書いて
『愛結』=『アム』
授からなかった命に名前をつけた。


恋をしている。

恋に落ちている。

愛した、愛された。

もっと早くに彼と出逢いたかった。
そして
堂々と命を授かりたかった。
病いになどなりたくなかった。
愛して愛されたなら
そのまま自然に
産める体でありたかった。

来世で巡り合っても
きっと わたしは彼に恋をする。

そのときは
あの日、授からなかった命を
ふたりで手放しで喜ぶことができたらと
願う。


恋をした。

恋に落ちた。

愛した、愛された。

来世で巡り合っても
きっと、きっと
わたしは彼に恋をする。
宿らなかった命を
来世では宿したい、授かりたい。


わたしは、Baby
恋人の胸に包まれて
まるで赤ちゃんのように
わたしはぐっすり眠った。


この街で身寄りのないわたしは
いつも不安に怯えていて
明日には自分は
本当に孤児になってしまうのではないかと
不安を募らせる日々が続いている。

わたしには誰もいない。

それがどれだけ心細いことか。
『孤独』

この連休は
その思いを払拭するかのように
恋人は優しくわたしを抱きしめて
眠ってくれた。


わたしは
まるで赤ちゃんのように
ぐっすりと眠った。

幼いころ
父も母も与えてはくれなかった。
オトナになって
温もりを求めて放浪するように
幾つかの恋もしたけれど
誰もこんなふうには
包んではくれなかった。
体の関係を持って
それでおしまいだった。


長い放浪の旅は
もう、終わり。
欲しかったのは
こんな温もり。

ようやく巡り合った恋人と
ふたりで過ごした
4回目の
ゴールデン・ウィーク。


私がタトゥーを彫った理由
その人は
いつでも
わたしのことを『薔薇』にたとえた。

「ミホは薔薇のようだよ」と
わたしを
薔薇から生まれた天使だと言った。

その人と
『永遠の愛』はどんなものなのかを
ふたりで話した。

たとえば消えない何かを
互いの体に残したなら
永遠の愛の証になるのかとか

そんなことを
ふたりで話した。

だんだんとその話は
エスカレートしていき
『永遠の愛』を得るために
わたしはひとつのことを思いついた。

タトゥーを彫ること。

「ねぇ
もしも
わたしが胸にタトゥーを彫ったら
ずっと愛し合っていられるかしら?」

その人は
興味深そうにタトゥーの話に同意した。

わたしは
『永遠の愛』を勝ち得るために
胸にタトゥーを彫ることにした。

けれども
わたしは彫ってすぐに
大きな後悔に襲われた
...というのか
ハタと我に返った。
こんなタトゥーひとつで
永遠の愛を得ることができるとは
やっぱり到底、思えなくなっていた。
そして
わたしはその後悔を
その人には告げられずに
ひとりで思い悩むことになってしまった。

『永遠の愛』を勝ち得るための
タトゥー。
そうよ、そう思えば悪くはないわ、と
自分で自分に幾度も言い聞かせたのに
結局
その人とはタトゥーから
数ヶ月後には別れた。

残ったのは無残に刻んだ
薔薇のタトゥーだけ。


自分の体を粗末にした
そんな愚かな恋もあった。



バージン・フレグランス

何かで読んだ
「付き合っている男が変わると
女は香水を取り替える」

いわれてみると
確かにそんな感じがする。
そういえば、そうだったような。


ティーンエイジャーのころ
ひそかに憧れの人が出来たとき
はじめてコロンをつけたことを
ふと思い出した。
それは
ほんの少し背伸びして
そっと階段を昇るような気持ちで
コロンをつけ始めた遠い記憶。

『香り』というのは
脳と直結する仕組みだと
アロマのライセンスを取得したときに
学んだことだった。

脳と直結するのが香り
ゆえに
五感に働きかけて
体のあらゆることに刺激して
第六感までにも達する。

という難しいことを
習ったか否ではなくて
大人の女はズルさを知っている
と私は思うのだ。

よく歌の中で
『残り香』だとか
『移り香』という言葉が歌われるが
べつにライセンスなど取得しなくても
男に対するコロンの使い方を
大人の女は
熟知してしまっているのかもしれない。


幼いころには
背伸びするための
小道具だったコロンが
大人になっての恋は
ちょっと階段を上がるくらいじゃ
物足りなくて
自分の存在を
彼の体に思い知らせるための
ズルイ使い方を私もしていた。

『女は男と別れると香水を変える』
私自身
そうだったかもしれない。
でもそれは単純に
古くなってしまった恋に
ピリオドを打つことなのだと
せめてもの言い訳をしたい。


今現在の私は
ジルスチュアートの
コロンを身につけている。

ジルスチュアートのコロンは
バージンの香りだと思うから
愛用しているのだが
心が処女であることは
何者にも支配されない。


もうこんな年齢だから
処女に戻れるわけもない?

そんことない、そんなことない
女は香り次第で
バージンになれると
私は思う。

フレグランスは
変幻自在のアイテム。

ジルスチュアートのコロンは
お花と果実が優しくふわふわ
ピュアな自分に戻れる香り。
ボトルの蓋のリボンは
眺めているだけで
透明になってゆける。

・・・女は何にだってなれる
変えられない過去
変えられない環境
変えられない立場
変えられない性格
だけど
女は何にだってなれる

男を縛るためのコロンではなくて
男にアピールするためではなくて
私が私で在るためにつける香り。

バージン・コロンには
そんな信念が宿る。



わたし、死ぬわ
「わたし、死ぬわ」

その人と
ホテルに行ったのは
出逢った翌日のことだった。

まだ出逢って
まもないのに
わたしはすっかり
その人のことが好きになっていた。

一夜限りの関係だと思った。
「今こうして一緒に居るけれど
あすの朝になったら
またわたしは独りになるのね」
そう思ったら
泣きたいのを通り越して
どうしたらいいのか
わからなくなってしまった。

大好きになってしまった男性に
わたしのなにもかもを
ぜんぶ委ねたい気持ちだった。

だけど
わたしは甘え方を知らなかった。


「わたし、死ぬわ」
そういって
その人の目の前で
クスリを飲んだ。

「なにを飲んだんだっ!」と
その人は
わたしを洗面所に連れて行って
クスリを吐き出させようとした。

「死ぬクスリを飲んだのよ」
...嘘を言った...

なんてわたしは不器用なんだろう。
「貴方に甘えたい」と
そのまま言えばいいのに。
「貴方とこれからもずっと一緒に居たい」と
そのままの気持ちを言えばいいのに。

「なにを飲んだんだ?」
「だから、死ぬクスリだってば!」

吐き出させようとするその人に
わたしは抵抗した。
もちろん、吐き出す必要はないわけで
わたしは甘え方がわからずに
"好きです"という
自分の気持ちをうまく伝えることができずに
どうしたらいいのかわからずに
本当は常備薬を飲んだだけだったのだ。

「飲んだクスリを吐けっ」
真剣に怒鳴るその人の表情に
わたしは観念して
本当のことを言った。
「常備薬を飲んだだけよ」

その人はホッとした様子で
わたしを洗面所から連れ戻すと
ベッドに腰をおろした。

上手に愛の告白ができない。
なんて言ったらいいのかわからない。
その上、出逢ってまもないのに
『死』という言葉を口にしてしまった
...嫌われたかしら...


その人は
煙草に火を点けて
ふわっと吐息を宙に向けて
一緒に生きようと言った。

俺もやり切れない夜は
たくさんあるよ。
耐え切れそうにない夜もあるよ
それでも生きるんだ
一緒に生きようか。
その人はそう言った。

悲しみを伝えるすべ
嬉しさを伝えるすべ
愛を伝えるすべ
わかっていなかったけど
初めて、知った。


今のすべてで貴方を愛したい
人生に白か黒しかないのなら
どちらを選んでも きっと
不幸になるわ

苦しむだけの選択肢を
並べて溜息をついていたの

今の真実だけで貴方を愛したい
今のすべてで貴方を愛したい
満点の正解なんて
出ないのよ 今は

なにもかもを越えて
貴方と愛し合うことができたなら
たぶんそれが答えになる

二人にしかわからないことは
二人だけが知ってればいい

揺れ動く心
揺られ揺られたとしても
苦悩が私を突き刺していても
後悔だけはしたくない



恋千夜
惹かれ合う運命だったのだと
貴方の腕の中に堕ちてゆく

背中にツメを立てたい
貴方は私だけの人だと
永遠に消えないほどの
しるしを残せたらいいのに
何の保証もないから

背中にツメを立てたいのは
むしばまれた傷の
私の心に刻まれた痛みを
分かち合う代わりに

教えて
この恋は続いてゆくの?
刹那で終わるわけじゃないこと知っても

教えて
この恋の行方を
エンゲージリングの代わりに
マリッジリングの代わりに

どうか
ください
もっと
その先を
そのくちびるで
その指先で
わたしの体をなぞって

幸福感を
一番奥深くまで突きさして
ふたりが満たされるまで
私に答えが見つかるまで


間違いだなんて言いたくない
好きになったのは間違いなの?
間違えた恋をしている
誰にも言えないけれど
時々、叫びたくなる。

わたしなんて もう
生きている意味などなにもなくて
ただ貴方が居るから
ただ貴方と眠りを分かち合うために
私はこの街で今日も生きている。

好きになったのは間違いなの?
間違えた恋をしている
誰にも言わせないけれど
時々、泣きたくなる。

誰にも言えない言わせない
だけど
誰か私の話を聞いて。
誰か私にうなずいて。
誰か私の心に寄り添って。

ふつうの恋人同士のように
貴方と私はなれないの?
いつまで続くの自問自答。

貴方と眠りを分かち合うためだけに
私は今日も生きている…



したたる想い
満たされない想いが
またひとつ
この心に
したたり落ちる

なぜ
こんな恋をしたの?
誰を
なにを恨めばいいの?
苦しみはいつまで続くの?

もう堪えられないかもしれない
「無理」と言ったら
あなたは私から離れてゆくと知ってるわ
ドラマティックな幕引きなどなくて
あわれなまま
私は独りになってお終いなのよ
きっと…

だから
私は哀しみを隠して微笑むわ
胸の中で悲鳴を上げながら


それは、恋の一歩手前

旅行代理店の営業部から
総務部に異動になったわたしは
あまりの畑違いの仕事に
戸惑っていた。

"総務部経理課会計係コンピュータ室勤務"
辞令には、そう書かれてあった。

異動した先の部署で
「わたし、パソコン、出来ません」
ここはやはり正直が一番だと
上司にそう言った。

それなのに
「お前、バカじゃないの?
誰もお前にパソコン出来るかどうかなんて
訊いてなんかないんだよ」と
係長がわたしを怒鳴り飛ばした。

「この仕事に向いてません」
わたしは うつむきながら更にそう言った。

「だからさ、お前、さっきから
何を寝ぼけたこと言ってるんだよ?
パソコンが出来ようが出来なかろうが
この部署に向いていようが
向いてなかろうが
辞令が出たからには
やるしかねえんだよっ!
あたしには出来ません、向いてませんって
お前ってバカじゃないの?」
…係長はわたしを怒鳴ったあと
ドサッとパソコン関連の本を持ってきた。

「これを読めってことですか?」
わたしは恐る恐る尋ねたけれど
係長からの返事はなかった。
怒鳴るだけ怒鳴って
あとは、ひたすら無視を決め込んでいた。

単純な打ち込みならともかく
会計ソフトを作る仕事なんて
いったい、わたしにどうしろというのかと
途方に暮れて
いや、それさえも通り越して
会社を辞めたくなったけど
まさか辞めるわけにもいかない。

「あの…わたし、なにをしたらいいですか?」
仕事、仕事をしなくちゃと
係長に尋ねてみる。

「そんなの、自分で考えてみろ。
ホントにお前って予想以上のバカだな」
係長は吐いて捨てたように
わたしに言ったあと
また無視を続けた。

最悪。
もう、泣きそう。

ルックスは抜群なのに
口は悪い、わたしの新上司。

「なにをしたらいいですか?」
1ヶ月経っても
係長はわたしに
なんの仕事も教えてくれなかった。
それどころか
ひたすら無視を続けた。

「もう、いいです。
仕事を教えてくれなくてもいいです。
わたし、ひとりで取り組んでみるし
機械には弱いですけれど
わたしなりに精一杯やりますから!
その代わりに
わたしの仕事に口出さないでくださいね」と
係長に対してわたしは
不遜にもそう宣言した。

その瞬間に係長は
笑って
「ミホ、その言葉を俺は
ずっと待ってたんだよ。
だって情けねえだろ?
この部署に来て最初から
あたしには出来ません
あたしには向いてませんって
シッポを巻くのは悔しいだろ?
ミホの好きなように会計ソフトを作ってみろ。
パソコンの1台や2台なんて
壊したってかまわないくらいのつもりで
やってみろ」


係長は
「ミホの歓迎会まだなんで、急ではありますが
今夜みんなで飲みに行きませんか?」と
会計係はじめ経理課のみんなに声を掛けて
突然の歓迎会をしてくれた。
「やっと、こいつ、やる気を出したんで」と。


それがキッカケで
わたしと係長は仲良くなった。


「食事に行かないか?」
初めて
ふたりきりの食事に誘われたときには
まるでデートに誘われた気分だった。

ことあるごとに
係長はわたしを誘い出して
夏祭りやカラオケに連れて行ってくれた。

「新車を買ったんだ。
まだ誰のことも乗せてないから
お前を乗せてやるよ」
ドライブに誘われた日には
どう返事をしていいかわからないくらいに
うれしかった。

春、夏、秋、冬が過ぎて
また新しい一年が始まるころには
わたしも仕事を覚えて
係長のサポートを出来るくらいの
腕になった。

係長が深夜までコンピュータ室に居るときには
差し入れを買ってきて
わたしも深夜までの手伝いをした。


「ミホ、今夜、空いてるか?食事に行こう。
話があるんだ」
神妙な顔で誘われたときに
胸騒ぎがした。

食事がひとしきり終わると
係長は言った
「俺さ、会社を辞めて独立するよ」

そうして
帰り際に
わたしを抱きしめて
「短い間だったかもしれないけれど
最初から好きだったよ。
お前、最初、情けなくて
でも可愛くて
俺が育ててやるって思ったんだよ。
お前が大好きだよ」


「わたしも好きです」の言葉を
飲み込んだ。
旅立つ人へその言葉は
なにか違うような気がした。
上司と部下として出逢ったのだ。
最後までバカで可愛い部下でありたかった。

係長は
わたしのくちびるに
触れるか触れないかの
微かなキスをくれた。
ほろ苦いビールの香りがした。

少年
煙草を取り出す慣れていない仕草
はにかんだ笑顔

少年のような真っ直ぐな瞳で
ぬくもりを伝えてくれたね
最後まで愛しきれなくてごめんね
あの日に戻って謝りたい

浮かぶのは
キミの華奢な指
浮かぶのは
キミの生真面目さ
応えられずに
愛を投げ棄ててごめんね


いま きっと素敵なオトコに
成長したキミを見てみたい
時の流れの中で
オトナになったキミを見たいわ

甘えた声さえ懐かしいの
少し鼻に掛かったベイビー・ボイス
二人でよく出掛けた港の埠頭
あの景色に変わりはないかしら

最後まで愛しきれなくてごめんね
無残な形で投げ棄ててごめんね
もう遠いメモリーズ
キミと過ごしたメモリーズ



チェリー・ボーイを愛した記憶

声を掛けたのは
仕事の流れよ
笑って流してたでしょ
顔さえうろ覚えだわ。

宅配で届いた幾つかの贈り物
本とCDだなんて
捨てるにも困る。

「感想を直接、聞かせて欲しい」
だなんて
そんなに暇そうに
見えたのかしら
ねえ?

電話番号を本の間に挟む
Baby Boy
アナログな方法には
ちょっとお手上げだわ!
気づけば
そのテに乗ってる私。

Baby Boy
一回り年下の笑顔
パパに買ってもらった外車で
煙草くわえて
呑気なものね
そのポーズは誰に教わったの?

待ち伏せは勘弁よ
Baby,Don't Touch Me,
まだまだよ
坊や!

秘密だという夜更けの埠頭
男と女の連ればかりね。

私のハンドバッグには
坊やの趣味のものばかり増えてゆく
コロン・ハンカチ・キーホルダー
「あげる」
望んでもいないキス
Baby,Don't Kiss Me,
出直しなさい!

背とプライドは高いのね
アクセサリーを
見せびらかすみたいに
私を仲間にご紹介をしたがる
「金曜日のパーティーには
あの服を着て来て」

私のクローゼットを知らないのに
まるで知ったふり。

「子供じみた席上には私は行かないから」
「いやだ、もう俺みんなに宣言したんだ」

駄々をこねたら
何でも手に入るの?Baby Boy...

頼んでないお迎え
車ならば自分で転がすものよ
いつの時代の王子様?
最初から間違えているBoy...

パーティーの帰り道
降りしきる雨の中で
知らない女の子に呼び止められた
「奪わないで、お願いです」
泣いていた女の子は
私のクツを見ていた
「貴女のようなオトナの女性には
勝てないんでしょうか」

Baby Boy
君を好きだという
かわいい女の子に
私は言葉を失ったの。
ゲームはお終いよ!


シンデレラにならなかった私は
シンデレラじゃなかったのよ
窮屈だったサイドシート。


あれから歳月が流れたわ
それでも
胸が痛いのは
なぜ?

Baby,Boy...
あのサイドシートには
今は誰が座っているの?
胸が痛いのは
なぜ?


怨念それとも情熱

あなたが死んだら
骨をください。

わたしは硝子のケースに入れて
朝昼晩に眺めながら
ご飯を食べるわ。

あなたが死んだら
骨をください。

わたしは硝子のケースから取り出して
眠るときには
傍らに置いて添い寝をするわ。

でもね
もしも
わたしが先に死んだならば
何も残しはしません。
ただ
あなたの心に永遠に憑りついて
忘れさせないわ。

「この世でどうして
わたしたちは結ばれないの?」

せめて来世で
わたしたちは一つになりたいの。
もらった骨を手掛かりに
次の世界であなたを探すの。

切ない放課後

言葉になんて
ならなかった…

ゴックンと
つばを飲んでしまった…
"走る"って
あんなにもカッコいいものなの?
風よりも
速いような気がした一瞬。

その走る姿を見て
迷わずに選んだ陸上部。
12歳。中学一年生の私は
100mを走る先輩にドキドキしていた。

「アラキ先輩 アラキ先輩」
何度もノートに書き連ねて
誰にも見られないように
消しゴムで消した。

入部からの春が過ぎ夏が過ぎ
馴染んできたグラウンド。
私は勇気を出して
「今日から先輩のシューズを
お預かりしてもいいですか。
シューズを調整させていただきます」

「俺のスパイクを調整できるのは
ヤスユキなんだけど」

「ヤスユキ先輩から引継ぎました」

「ヤスユキから引き継いでる?」

「はい、ヤスユキ先輩も
大会の練習が大変なので
私がアラキ先輩のシューズを調整して
管理させていただきます」

「わかった、よろしく」
そう言われてドサッと渡された
陸上競技用スパイク4つ。

「こちらは日替わりの使用ですか」

「いや、気分次第。
どれでもすぐ履けるようにしておいて」

宝物みたい!
これを履いて走る先輩
ギューッと抱きしめたい。

毎日、毎日、真剣に
スパイクの調整。

先輩が一走りするごとに
スパイクの針を点検する。
陸上の100m選手の
スパイクシューズの裏側は
ミリ単位で勝負。
抱きしめたいなんて
甘い気分に浸ってたんじゃダメね。


あるとき
ほかの先輩に呼び止められた。
「あれー どこに行ってたの?
アラキが探してるのって
あんたなんじゃないかー?」

アラキ先輩が私を探してる?
うれしい、うれしい、夢みたい

「先輩!私をお呼びでしたか」

「そっちもも練習してた?
おまえにタイムを取ってもらおうと思って」

アラキ先輩が私を探してくれていたと
夢のようなうれしさの中で
ふと気づく
名前…
私の名前を呼んでくれれば
探さなくて済むはずなのに
あんたのことを
探してたんじゃないのかと
言われずに済んだはずなのに
私の名前を知らないのね


揃えたレターセットで
先輩に書いたお手紙
「先輩に憧れています」
それだけなのに渡せないまま。


「先輩!今日は
どのシューズにしますか」

「ミズノで走る、マッサージもお願い」
と言った先輩は
私を見て首をかしげた。
「おまえ、
自分の練習はおろそかになってない?」
「今日は上がりです」
「おまえの走り見てやるよ、最後までいろ」

アラキ先輩が私を見てくれるのに
ロマンティックからは遠い厳しさだけ。

「太腿を出してみろ」と言われ
恥ずかしいけれど
太腿を先輩に見せる。
先輩が私の太腿をさわりながら指摘する
太腿の肉のつき方が間違っていると。

「なにを食べたらいいですか」
「食いモンじゃなくて、
正しい走りで脚に記憶させろ」
「はい」


中学生活は
アッという間に過ぎていく
一年が経ってまた巡る季節。

リツコ先輩から声を掛けられた。
「ねえアイツの修学旅行の
写真を買ってあげようか」
マサヨ先輩も
「下級生が違う学年の
写真を買うのは難しいもんね」と言う。
なんで…と
私はリツコ先輩とマサヨ先輩に聞いた

「そんなの見てればわかるよ、
陸上部みんなが言ってるんだよ、
なんとかなったらいいね」

マサヨ先輩は頷く。
「一年間みんなで応援してたんだよ。
アイツはシューズを
ほかの人には預けないし。
うん、うん、二人はうまくいきそう。
ずっと前に脚さわったりもしてたもんね」

「リツコ先輩たち、見ていたの?」
「みんな知らないふりしただけで
見てたよー、帰ったふり、
がんばれって応援してたんだよお」

そしてまた
日々だけが過ぎていく。

「シューズ、今日はアシックス。
ふくらはぎのマッサージもいつもどおり」

「先輩、あの、マッサージって」
「なに?今日は
筋肉疲労のスプレーのほうがいいって?」
「…いいえ、マッサージさせていただきますね、
疲労の冷却スプレーもお持ちします」

ほかのみんなは
私がアラキ先輩に憧れてると
ちゃんと知っていて
陸上部の全員が知っているのに
本人のアラキ先輩だけが
知らないはずはない。

未だに名前を呼ばれたことない。
太腿を見せても
走る要因のひとつにしか見えていないの。
私にためらいなく自分の足を
マッサージさせてる
…これがきっと答えなのね…

そして
先輩が卒業のサヨナラのときが来た。

「ミホったら、もお、

先輩に何か言わなくて後悔しないの」
と友だちが私をせかす

なんて言えばいいのかな
「先輩」
私はアラキ先輩に声を掛けた。

「うん、どーも」と
先輩は笑って私のほうを向いた。

「先輩、私の名前を知っていましたか」
笑顔で先輩は答えた。
「名前なんか呼ばなくても
おまえはいつも傍に居てくれたじゃん」

私に残されたのはアラキ先輩の写真だけ。
こっそり買った写真だけ。
修学旅行先で
ふざけて笑っている写真が一枚だけ。

生まれて初めての憧れ
今も色褪せない憧れ。

あれから
長い長い歳月が経ったけれど
名前のつけようがない憧れは
名前を呼んでもらったことのない
あの日々のまま。


祈り
眠っていた何かが
目を醒ます。

あなたは優しくキスをくれるけれど
それだけじゃ足りなくて
じれったくなる。

わたしはあなたの背中を
右の手で揺らして
催促をする。

眠っていた何かが
呼び起こされる。

あなたのくちびるが
わたしの胸を
あなたの指先が
わたしの花園を
愛してくれるけれど
まだそれだけじゃ足りない。

欲しいのは
あなたの、それ。
もっと欲しいのは
あなたの、たましい。

果てしない欲望は
一瞬のエクスタシーに呑まれて
だけど
永遠の祈りになる。



そよ風はセブンスターの匂い
眠った貴方の横顔を
わたしは静かに見ていた。

なんて表せばいいの
こんなスゥイートな気持ち。

寝顔の貴方のくちびるに
ときどき
わたしのくちびるを重ねたり
ときどき
わたしの手のひらを
貴方の頬に重ねて
夢じゃないこと
確かめる
貴方の腕の中にいる不思議を。

わたしの様子に
貴方はふと目を開けて
腕を伸ばして抱き直す
「もっと、こっちへおいで」

束の間の夜に
ふたりで落ちて
目を醒ました朝
ONE KISS
TWO KISS
抱きしめあって
モーニングキス。

夜を越えるたび
つぼみが花開く

わたしの花びら
もっと咲かせて
貴方の色で咲き誇りたい。

ふたりきり
早春の風景
そよ風代わりの
セブンスターが煙る……



タブー…天使が恋をした…

12年の歳月が流れていた。

思いがけない再会。
懐かしさを語り合うよりも先に
その人のスラックスのファスナーをおろして
あたしは肉棒にむしゃぶりついた。

驚いたように後ずさりをしたその人に
あたしは容赦なく続けた。

その行為は
決して性欲からのものではなかった。
ただ、ただ伝えたかった。
「今でも、愛してるわ」と。
そうして
「あのころのあたしとは
もう違うのよ」とも
必死な気持ちで伝えたかった。


12年前、あたしたちは
互いの体を愛撫し合ったけれど
最後の最後の一線を越えることを
避けた。

なぜなら
あたしの仕事は『天使』
なんて言ったら大袈裟になるけれど
職業的にはそんなもんね。

その人と出逢って恋に落ちて
あたしは戸惑った。
性のタブーをその人に告げた。
でも結局
あたしとその人は
『天使』の仕事を理由には
そのときは縁を切り切れずに
互いの体を愛撫し合っても
挿入さえしなければ
神様からも許されるだろうと
せめてもの言い訳にしていた。

そんな苦い恋から
12年の歳月が流れていた。
思わぬ再会。
あたしはまだその人を愛していた。
どうしたら愛を伝えられるのかと
あたしなりに考えた末
たどりついたのが
肉棒にむしゃぶりつくことだった。
「我ながらなんて
不器用な愛の告白なんだろう」
そう思いながらも。

あたしの必死な想いに
その人は応えてくれた。
むしゃぶりついた肉棒は
やがて
あたしの花園を貫いた。
歳月を経てあたしたちは
ようやく一つになった。

天使は今日もタブーを犯し
肉棒を口の中に頬張る。
「愛しているのよ」
精一杯の告白。


半分片想い

そんなの、いつものことだった。

シャワーも身支度も済ませたのに
何時間経っても
彼は姿を現さない。

ホテルの白い一室。
わたしの爪が泣いていた。
前日にネイルサロンで
綺麗にマニキュアを塗ってもらった
わたしの爪が泣いていた。

「仕事で遅くなる」
メールがひとつ入ったきり
音沙汰もなく過ぎてゆく時計の針。

会える日は限られているのに
どんなに前々から約束をしていても
当日になると彼は
「仕事で遅くなる」と
わたしを待たせる。
そんなの、いつものことだった。

ひとりきりのチェックイン。
ひとりきりの待ちぼうけ。
会えることの胸の高鳴りも
時間の経過と共に消えて
惨めな気持ちでいっぱいになる。

夜7時を過ぎても
まだわたしは、ひとり。
それから更に
一時間が経とうとしている夜8時ちょっと前に
ふたたびメールが来た。
「遅くなるからコンビニで
弁当とビールを買っておいて」

爪の先から全身から涙が滝のように流れて
床が滲んだ。
けれどもホテルの部屋をいったん出て
手作りが自慢のお弁当屋さんへと向かった。
コンビニで弁当をと言われたのに
わざわざお弁当屋さんで
お弁当を作ってもらうのは
わたしの『好き』を伝えたかった。
コンビニ弁当では『お手軽な愛』に
なってしまいそうで
せめてお弁当屋さんのモノに願いを込めた。
そうして
缶ビールを買ってホテルの部屋に戻った。

お弁当が冷めたころに
3回目のメール。
「なんだったら、先に食べていて」


男性と逢う約束をして
ひとりでホテルのチェックインをして
ひとりで待ちぼうけをして
ひとりで冷めたお弁当を食べる女性など
いったいどこにいるのだろう。

夜9時すぎ。
ようやく彼は姿を現した。

彼はわたしを抱きしめて
わたしも流れのままに
抱きしめられていた。
「わたしのこと、好き?」
「好きだよ」
「わたしのこと、愛してる?」
「…それは、わからないな」
「わたしのこと、愛していないの?」
「考えたことなかったな」

爪が、爪が、また泣いた。
でも わたしは
「そうなのね、次まで考えておいてね」と
笑ってみせた。

このホテルでのデートはなんなのだろう。
抱きしめられてお終い?

この夜はいつもと違って
わたしは彼に贈り物を持って行っていた。
「プレゼントしたいものがあるの」
怪訝そうに
「プレゼント?」と彼が言うので
わたしは得意気にブランド物よ、と
答えてみた。
「ブランド物なんてまったく興味ないよ」
「要らないの?」
わたしはどうしたらいいのかわからなかった。
「要らない」

結局、贈り物は渡せないままに
夜は更けていった。

仕事で疲れたよ、と彼は
ベッドで寝息を立て始めた。


このホテルでのデートはなんなのだろう。
抱きしめられてお終い?
待たせるだけ待たせても
ごめんねさえも言わない。
愛しているかを尋ねても
わからないよと答える。
贈り物を見ずして要らないよと。

優しく抱きしめてもらっても
わたしは半分、片想い。

会える喜びを託した爪が、爪が泣いていた。
全身からも滝のようにまた涙が流れた。
窓辺のカーテンをめくると
金色の月が冷たく光って
やがて雲間に消えた。